たこの木BBS

たこの木BBCへようこそ!!
みんなで、障がい当事者の生活支援について考えていきましょう!!
新規のタイトルを立ち上げる際には類似のタイトルがないかご確認ください。

「自立」って何だろう? - 岩ちゃん (男性)

2007/10/31 (Wed) 12:27:04

http://blogs.dion.ne.jp/takonoki/archives/6356718.html#comments
にあるstratomasterさんからの質問
「たこの木さんの考えられる自立概念とは、どのようなものですか?」を受けこのトピを立ち上げました。
「自立」と言う言葉自体は巷にあふれていますが、一人一人その捉え方は違うと思います。
皆さんが普段描いている「自立」の意味をみんなで考えて見ましょう!!

Re: 「自立」って何だろう? - 岩ちゃん (男性)

2007/10/31 (Wed) 12:44:30

では、さっそくstratomasterさんからの質問を受け、私の描く「自立の概念」についてまずはお答えしたいと思います。

stratomasterさんは、いろいろ複雑な想いを持たれているようですが、私は単純に「自立=自らによって立つ」と言う風に考えています。

そして、そのことが障がいの故に許されない社会を課題とし、個々の障がい当事者に対して「支援」と言う枠を持ってその実現をめざしています。

以前、障害福祉計画の会合で障がいを持つ子の親が私に対し「自立と言っても家をでるだけが自立ではなく、家庭内自立も認めて欲しい」と言っていました。
 私自身その発言自体に大きくうなずき「本人がそのことを願い選んでいるならば当然のこと」と思いました。
 しかし、その親は次に「(家庭内自立を保障するために)親が疲れた時や家族が面倒見れない時、緊急の対応が可能なショートステイの充実を図って欲しい」と語り、「そうでは無いだろう!!」と声を荒げました。
 
 ようするに、障がい当事者の世界には純然と本人の自己選択自己決定なるものがまだまだ認められていなくて、誰かの都合(親や事業所・専門家)によって決められてしまう現実に対し「自立」と言う言葉を使っています。
 
 一般論として「自分で決める」と言うことを語るのではなく、当事者が自分の意思では決められない今日の社会や人との関係性に対し「自立」と言う言葉を使っています。

 さてさて、
とは言っても、現実はぐちゃぐちゃですが…
皆さんはいかがお考えですか?

Re: 「自立」って何だろう? - りっちゃん (女性)

2007/11/26 (Mon) 22:46:23

配偶者の収入で生活している私は自立と言えるのかどうか分りません。
 知的障害のある息子を家から出して、息子は新たな発見や越えなければならない山にぶつかって成長しているようです。
黙っていてそこそこに快適な生活ができる環境から、相手(ヘルパー)に伝えなければ食べる物も出てこない状況になり、なかなか決められない息子はどうしているのか。
お金の価値観は、ものすごく変わったらしい。扱う金額の大きさ、同じ100円でもすぐ口に入る物か、材料の一つか、100円の価値、100円の使い方。またお金を使う優先順位は、親とは全く異なる。第一位は、楽しむ事への費用は惜しみなく、親が息子に連絡を取れないと困る携帯は最下位に近そう。
言葉だけで刷り込まれていたお金と働く意味は、今初めて生きた現実の物になりつつあるのではないだろうか。

家を出て一人生活が始まって明るくなった息子。そんなに親は重かったのか(苦笑)。
職場から親への苦情の声が届かなくなったこと。息子の後に控えているのは親ではなく、ヘルパーだから。親には文句付けたくても、ヘルパーには知られたくないらしい。
契約前の不安げな大家は息子が入居後、息子に対する見方が良く変わった不思議。大家いわく「だんだんわかってきた」。集合住宅の住人一人一人に丁寧な挨拶をする息子。自分の家の世帯主が自分だと自然に理解しているように見える。

親子の会話も変わった。今までは、息子の大まかな行動を把握できていたから、話をするときも、こちらから要領よく聞こうと質問していた。今は、何を言い出すのか全く予測が付かないから、こちらもまず聞く体制になる。

今始まった、息子のお試し自立生活。
知的障害を持つと少なくなりがちな選択肢を沢山用意してやることが、親の仕事かな?
今後の成長が楽しみ。でも順調に行けば、今後は親から見えない所に行くのかな~

自立生活おめでとう - 岩ちゃん (?)

2007/11/28 (Wed) 16:29:47

 りッちゃんの側は送り出す側、私たちは受け止める側。
 その違いで想いもまるで違うでしょうね~。
 実に私たちのほうがおいしい側にいると思います。
 でも、最近たこの木を介して自立生活を始めた人たちが、長い年月の中でたこの木以外の支援者達と暮らしを成り立たせている姿を見るにつけ、親の側の気持ちもなんとなく分かるような~。
 
 いっぱい気になる事があるでしょうが、これまでは子どもの自立を夢見て長年子育てしてきたわけですから、今度はいづれに日にか子どもが、わが身の老後を支援してくれる日を夢見て、しばらくはフルムーン旅行を楽しむとかいかがでしょうか?

Re: 「自立」って何だろう? - りっちゃん (女性)

2007/11/29 (Thu) 22:56:33

もう一人いるんですよ。巣立ちさせなければならないのが。後もうひと頑張りかな?でも次は女なので、きっとたくましく強いと思います。ストッキングと共に強くなった女たちが通じるかな?

もう一人の自立 - 岩ちゃん (?)

2007/12/03 (Mon) 09:45:00

>もう一人いるんですよ。巣立ちさせなければならないのが。

最近、親から自立できない若者が増えていると聞きますが、彼らの20年後ってどうなっているんでしょうかね~。

障がい者に限らず最近の若い人にとっても「親亡き後」が問題になっていたりして…

たこの木のすいいち企画に集まる当事者の皆さん。親元を離れて生活している人が多くて、まだ親元にいるヘルパーさんに、発破をかける場面もあったりして…

 お互い「子育て期間」に期限を区切りつつ子どもの成長を見守りましょう!!

stratomasterさんからの質問に応えて - 岩ちゃん (?)

2008/01/03 (Thu) 11:11:24

http://blogs.dion.ne.jp/takonoki/archives/6636500.html#comments
のstratomasterさんからのコメントを受け、たこの木の様子をお伝えしたいと思います。
①就労=いわゆる労働基準法を守る事
 障害者世界で言うところの就労って、最低賃金を守らなくても、有休がなくても、負担金を払っても就労と言うおかしさを感じますよね。
 福祉的就労や非雇用型の就労継続支援なるものが、もっともらしく「就労」と言われれる現実。
 そして、当事者たちには時給50円でも「僕は仕事をがんばっています」と言わし当事者をごまかす作業所が多いこと。
 「特例子会社」なるものが、障害者雇用の救世主のように広まっているが、「障害者ばかり集まる職場って何なのよ」とは言いたいが、最低賃金をもらえていると言う点では、ギリギリ許容の範囲かな?
②9連休なんてありえないたこの木
 周囲からは「休んだ方が良い」とよく言われるのだが…
 数年に一度帰る田舎はPHSの電波も届かないため完全休養となる。
 そんな日を4日も取ろうものなら、その前後の仕事量は普段の数倍に膨れ上がる。なので、9連休なんてありえない。
 とりもなおさずたこの木が担っていること。それは人の暮らしの支援であり、人の暮らしは365日・24時間の連続性の中にあるため、自分一人がその連続性から抜ける事はできない。
③仕事と労働
 多分私やたこの木のスタッフは、労働者とは呼ばないだろう。
 なぜなら、最低賃金を守っていないから。また雇用主でもないから。
しかし、たこの木が担う仕事は際限なく続く。
 労働と言った場合には賃金が伴い、仕事と言った場合には必ずしも賃金が発生するわけではなく、「支援」とか「活動」「運動」と言った側面も含まれているだろう。
④障がい当事者やその親の立場の人に金銭負担をかけないたこの木。
 たこの木の主な財源は、助成金と趣旨に賛同する方々からの会費・カンパです。
 なので、いつも財政危機を抱えています。
 日々様々な当事者との付き合いがありますが、あくまでも支援を課題とするたこの木としては、当事者から費用をもらう事はありません。(実費については、当事者も私も出し合いますが)
 また、当事者につながる家族(と言う立場)からも費用をもらいません。
 なので、私たちは親の要望に縛られる事なく当事者の支援を担う事ができるし、その当事者から様々な事柄を教えてもらえる。
 その喜びは担ったものでしか分からないことかもしれないが、新たな担い手を確保する事の難しさを日々感じている。
⑤障がい当事者と飲み友達?
 多くの障がい者世界の、「呑み会=イベント」の不思議さを感じる。
 たこの木としても、当事者が二十歳を越え始めた頃はよく「イベント」として展開してきたことはある。(なぜなら、呑み屋に言った事の無い人ばかりなので)
 でも、「仕事帰りの一杯」と言うのもあたりまえにできることを常々考えるうちに、「イベント」で呑み屋に行くよりも、各々必要ならガイヘルを使って個々に行く事が、当然になりつつあるたこの木。
 呑むのが好きな私としては、「してやったり!」である。
(最近フランチャイズの呑み屋に行った際、キープしたボトルを名前も言わないのに出してくる店員に驚いていた人がいたが、また一歩地域に浸透した感を持っている)
⑥「親亡き後」より「子育てに期限を!」
「親亡き後」を語ると、その支援の対象はどうしても親になってしまう。親子の絆の深さは他人の私が理解できるものではないと思う。
 親子の絆の深さを認めるも、では私と当事者の関係の深さは、親子の関係の深さといつも比べっこしないと成り立たないのだろうか?
 決してそうではなく、親子の関係とはまったく別の関係の中にあると思う。
 しかし、現実の世の中「一生この子の面倒を見る」と言う価値観や状況があり、その点を改めるために「子育てに期限を」と言う。
 日々語る「自立」と言う言葉は、決して親を否定したものではない。それ以上に、施設に入れることなく地域の中育ててきた親や家族には、そのことによって私達と出会う事ができるから、深く感謝している。
 その上で、我が子をこの先を地域に委ねてもらえるよう、親とも付き合っていきたいと思うし、未だ親元にいる当事者たちへは「自立生活」を呼びかけているつもり。

※うだうだ、書いてしまいましたが皆さんからのコメントお待ちしています!!
 

「自立」って - りっちゃん (女性)

2008/03/31 (Mon) 23:19:02

中学校の先生がこの子に自立生活が考えられますかと聞いてきた。Non!と言う答えを期待して。正にこちらの思うつぼにはまってきた。「自立生活」と言う時、自分の力だけでと言うのとは違うと思う。
他力を引き出す、他力を使う知恵、判断も含めて自力と言ってほしい。
障害のある人が何かできるようになるために訓練したり努力することが、よく期待される。
しかし、そもそも手足、脳などが自由自在に使いきれなかったりするから障害があると言われるのに、訓練で大きな成果が得られるとは思えない。
だとすれば、
「自立生活」と言うとき、
補う人や物があって初めてその人中心の自立生活が成り立つ。
「自力で」と言うのも、自力で出かけるなどと言うとき、分からないとき、困ったとき誰か近くにいる人に聞けるという必要な他力も使えることも立派な自力ではないだろうか。
そういう自力は誰にも教えられない、訓練できない。実際困ったときに失敗したときに鍛えられるから。失敗は最大の学習。
失敗をしないように準備万端整うまで、外に出さないは最大の愚。
準備万端整えたつもりでも失敗はありうる。増してや準備という体裁がとれるならまだしも、障害があると言われるなら、準備が整うには至らないことの方が多い。
いえいえ、障害がある無しに関係なく、かわいい子には旅をさせたいが、
企業か何かのように、失敗をしないようにきっちり下準備することに特に強い意識が働いているように感じる今日この頃。
失敗してもめげずに果敢にも挑戦する気力こそ大事では。
失敗を恐れた方がいいくらいに言われる私だが。

子どもが自分の前に親の出すぎるのを文句言うようになれば、自立の始まりかも。

思う壺!! - 岩ちゃん (?)

2008/04/01 (Tue) 11:24:27

>中学校の先生がこの子に自立生活が考えられますかと聞いてきた。Non!と言う答えを期待して。正にこちらの思うつぼにはまってきた。「自立生活」と言う時、自分の力だけでと言うのとは違うと思う。

りッちゃんお久しぶりです。(息子さんとは定期的にお会いしていますが…アハハ)
中学校の先生の問いに「思うつぼ」と思えるのは、さすがお子さんを自立生活させた実績ですね!!

>子どもが自分の前に親の出すぎるのを文句言うようになれば、自立の始まりかも。

賛成一票!!
そのおかげで、私の方は息子さんといろいろやり取りさせていただいています。(内容は本人に悪いのでヒ・ミ・ツ!)

疑問票一票
 たこの木通信にTさんも書いていましたが、人に頼むって言う事は本当に難しいことですよね。それができると言うのは立派な能力!!
 でもですね~。何に困っているかが分からない・何を聞けば良いか分からない・何を頼めばよいから無い人の場合は?
 「家でのんびりするのが好き」と言う当事者が近くにいますが、「家でのんびりする」以外に楽しい事を知らないと、「好き」で終わってしまうし、「捜す事に付き合って」と言う事も頼まない。

そんな場合はどのように考えますか?

r.ume さんのコメントに応えて - 岩ちゃん (?)

2008/04/03 (Thu) 09:50:36

たこの木ブログ(http://blogs.dion.ne.jp/takonoki/archives/6948158.html#comments)に応えて

r.ume さんへ
「自立生活」って親元から離れればそれで終わりではなくて、そこが第一歩。「生活」の中にはいろんな事があるでしょうね~。

>自立生活だいぶくたびれてきているようです。

そんな時もあると思います。
だからこそ、そんな時にでも親とではなく地域の支援者たちと一緒にその状況を乗りこえていけるような支援体制が必要ですよね。

知的当事者の親や家族は、なかなか子どもを手放せないと言う方が多いです。
その中にあって、r.ume さんが一歩前踏み出し息子さんを自立生活の場に送り出したことはとても稀ですばらしいことと感じています。
ただ、親の立場で踏み出したのと同様に彼を取り巻く周囲の人たちも踏み出せているかと言えば現実はまだまだなようです。

 一歩先行く親に対して、周囲がついてきていない。結果、子どもが悩んだり生活上の問題があった時に、親が出張らなければならない現実がありますよね。
 確か、千葉の方で自立生活している当事者のお母さんも同様の悩みを抱えていたようです。

 私たちは、支援の側として当事者と向き合うのに必死で、なかなか送り出していただいた家族のフォローやこの先多くの当事者が家族の側から送り出されていくような展開を作っていく所までは手が回りません。
 送り出した親や家族の側が集まり、わが子ではなく「知的当事者の自立生活とは何を」考え訴えていける場が必要かもしれませんね。

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